市立伊丹ミュージアム

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泉茂 1950s 陽はまた昇る

2024年6月14日(金)〜7月28日(日)

 泉茂(1922-1995)は大阪市に生まれ、1940年代後半から約50年にわたり戦後関西の芸術動向を牽引しつづけた画家です。1951年、大阪で結成されたデモクラート美術家協会への参加を契機に、シュルレアリスムをはじめとする先鋭的な作品を制作し、前衛美術家としてのキャリアを歩みはじめました。戦後の目まぐるしい社会の変化を敏感に感じ取りながら、常に表現を深化し、展開させて生み出した作品は、初期の抒情的な版画からその後の洗練された抽象絵画にいたるまで、独自のユーモアに彩られています。
 「勇気と自信を或いは、生きるよろこびとかなしみ」を与える絵を描きたいと願いつづけた泉。その願いは、画家になりたいという希望を心の奥に抑圧しながら必死に生きた、戦争の記憶とも深く結びついています。「陽はまた昇る」という本展のタイトルは、戦後の危機的状況のなかでも、自由な精神と人間への信頼を作品で示しつづけた、泉の50年代の活動を象徴的に表したものです。戦後の荒廃した風景のなかで自己と社会を見つめ、その地平線の先に希望の夜明けを見つづけた創作の軌跡は、不安定な時代を生きる私たちにも多くの示唆を与えることでしょう。
 本展では、泉の作品に加え、泉の創作に関わる同時代の海外美術の動向や、異なる領域の表現者の作品や資料などあわせて約100点を紹介し、泉が創作にかけた想いを紐解きます。

本展のみどころ

戦後関西を代表する画家、泉茂の50年代に焦点
戦後美術の黎明期に、デモクラート美術家協会の中核作家として活躍した泉茂。泉の思考と表現の核に迫ることを目指し、本展では当館が所蔵する作品に、徳島県立近代美術館と個人が所蔵する作品と資料を加え、創作の起点となる50年代に焦点を当てます。

不安な時代を生き抜いた、若き画家の苦悩と格闘に迫る
戦後の危機的状況のなかでも、泉は自由な精神と人間への信頼を作品で示しつづけました。《逃げたスペード》や《深夜のセロ弾き》、《インディアン》などの代表作のほか、回顧展初出品となる作品を含む約100点の作品と資料から、時代と格闘した若き画家の実像に迫ります。

泉が敬愛したモダンアートの巨匠、フェルナン・レジェの作品も登場
泉はレジェを「太陽」にたとえ、その明るく健康的な人間像を手がかりにりながら、ヒューマニズムに根ざした芸術の理想を探求しました。本展では、二人の作品をともに展観することで、レジェに対する泉の関心とその影響を浮き彫りにします。

展覧会構成・主な展示作品

プロローグ ロスト・ジェネレーション
第1章 夜明け前
第2章 風景の果て
第3章 色めく幻影
第4章 「太陽」をみつめて
第5章 羽ばたく
エピローグ 逃げたスペードのゆくえ

泉茂 略歴

1922年、大阪市生まれ。大阪市立工芸学校(現:大阪府立工芸高等学校)で洋画家の赤松麟作や、バウハウスの造形理論教育を実践した山口正城らに学び、1951年、瑛九(えいきゅう/1911-1960)を中心に大阪で組織されたデモクラート美術家協会の結成に参加。57年、第1回東京国際版画ビエンナーレ展で新人奨励賞を受賞し、戦後の美術界を担うひとりとして高く評価されました。シュルレアリスムの手法を用いた幻想的な作風で、戦後の苦悩や希望が入り交じる複雑な心情を詩情豊かに表現しました。50年代末には、自己変革を目指してニューヨークに移住し、その後パリでの活動を経て、幾何学的な抽象絵画へと作風を展開。68年に帰国し、大阪芸術大学で教師を務めるなど、後進の育成にも尽力しました。1995年に没するも、今日まで強い存在感で関西の美術界に影響を与えつづけており、戦後の日本美術を回顧する多くの展覧会で取り上げられています。

開催概要
会期

2024年6月14日(金)〜7月28日(日)

会場 展示室3・5
休館日 月曜日(7月15日は開館、7月16日は休館)
開館時間 10:00〜18:00(入館は17:30まで)
観覧料 一般 500(400)円、大高生 300(250)円、中小生 200(150)円
※( )内は20名以上の団体料金
※学生の方は、学生証をご提示ください
※兵庫県内在住・在学の小中学生は、ココロンカードなどのご提示で無料
※伊丹市内在住の高齢者の方は、証明書のご提示で半額(平日は60歳以上、土日祝は65歳以上)
※障害者手帳をお持ちの方は、手帳のご提示で半額(ご本人と介護者1名)
※その他の特別料金等についてはこちらをご覧ください
主催 市立伊丹ミュージアム[伊丹ミュージアム運営共同事業体 / 伊丹市]

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