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伊丹市の歴史
江戸時代の村
荻野村
荻野村とは
荻野村は、鴻池村の東に位置し、天神川の両岸地域です。慶長国絵図や京都府立総合資料館蔵正保国絵図では「萩野村」とありますが、大分県竹田市立図書館蔵正保国絵図では荻ノ村とあり、「萩」は誤記と思われます。
文禄3年(1594)、鴻池村・荒牧村と一括で検地を受けました。村切の正確な年代は未詳ですが、文禄検地帳が焼失したため寛永9年(1632)に名寄帳を作成して年貢徴収を行い、同13年に新田検地を受けており、この頃村切が完了したとみられます。正保郷帳では髙512国余、ほかに新田31石余。延宝2年(1674)新田の追加検地を受け、享保20年(1735)の摂河泉石高調では髙544石余。寛保元年(1741)1石余の新田検地を受け、天保郷帳は髙546石余。
初め幕府領でしたが、元和3年(1617)尼崎藩領となり明治維新を迎えます。
用水は貝の川筋(天神川)の川東の樋から取水する中之池、川西の樋から取水する西之池、山本村(現宝塚市)から取水する東之池がありました。東之池は荻野古池ともいいました。
明暦3年絵図には当村の東に「おきの之牛かいは」(荻野牛飼場)が描かれています。
また、当村の野には、雨夜になると野火が出て、「扇野の火」とよんだといいます。
産土神は春日大明神で、宮守はおらず宮座が順番に1年ずつ勤めました。社伝ではもとは源正寺(現浄土真宗本願寺派)の北方にありましたが、寛文元年現在地に遷座したといいます。