市立伊丹ミュージアム

伊丹市の歴史

江戸時代の村

寺本村

伊丹市域と寺本村の位置

寺本村とは

 寺本村は山陽道に面し、昆陽村の西に位置していました。行基の開いた昆陽布施屋を前身とする昆陽寺が所在することが、「寺本」の由来です。
 慶長国絵図では、昆陽寺を「行基堂」とし村名も行基堂村ですが、元和3年(1617)の摂津一国御改帳では寺本村とみえ、髙は438石余です。また、正保国絵図(京都府立総合資料館蔵)には街道の東から東寺本村・中寺本村(大分県竹田市立図書館蔵正保国絵図では中寺村)・西寺本村とあり、正保郷帳によるとそれぞれ髙179石余・髙98石余・髙160石余。天和3年(1683)頃の摂津御料私領村髙帳では、東寺村・中寺村・西寺村と記されています。
 天保郷帳では寺本村として、髙483石余となっています。元禄3年(1690)の池尻村絵図(池尻地区有文書)によると、中寺村は寺院とその在家で構成されています。延宝5年(1677)に検地を受け(「寺本村検地帳」一乗院文書)、元文元年(1736)に新開下々畑を本髙に入れました(「昆陽組邑鑑」昆陽農業協同組合文書)。
 領主の変遷は千僧村と同じで、初め幕府領、貞享3年(1686)から、武蔵国忍藩(おしはん)の領地になりました。しかし、江戸時代後期の文政6年(1823)、再び幕府領に戻りました。
 用水は昆陽井と昆陽池です。正徳6年(1716)には東寺本村に江戸積み酒造家がいたことがわかっています(「江戸積荷樽覚」岩田家文書)。宝暦6年(1756)頃の家数は百姓61、水呑4、地借8・店借17、医師1、下役ほか2、牛20でした。
 酒造家は東寺本に2軒あり、その酒造株髙は105石です(昆陽組邑鑑)。
 産土神は、西寺本村が大梵天王宮(現寺本猪名野神社)、東寺本村は昆陽村の西天神社、中寺本村は昆陽寺境内の大梵天王社。ほかに庚申塚・桜塚・石地蔵塚・土用塚・八専塚などがありました(昆陽組邑鑑)。なお、西寺本村の産土神は池尻村絵図によると曾禰ノ宮と称されています。

(『兵庫県の地名 Ⅰ』(平凡社、2001年)より)

昆陽寺(『摂津名所図会』より)

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