市立伊丹ミュージアム

伊丹市の歴史

江戸時代の村

北村―寺院・街道・キタムラブドウ―

伊丹市域と北村の位置

北村とは

 当初、北村地域(北村と枝郷をあわせて)は全域が江戸幕府の領地(幕領)でしたが、寛文2年(1662)に、北村と枝郷の鋳物師(いもじ)村が麻田藩青木氏領となり、枝郷の辻村・伊丹坂村・野村が旗本大橋氏の知行所となり、明治に至りました。

御下札並御通箱

北村地域の寺院

 北村には教善寺、発音寺、安楽寺があります。
 江戸時代の「宗旨改帳」によると、北村の住人の9割以上が教善寺の檀家であったことがわかります。
 教善寺には幕末に天誅組に参加し刑死した伴林光平の和歌資料が残されています。光平は本堂の片隅の隠れ部屋で和歌の指導を行い、伊丹町や近隣の文人が教えをうけていたといいます。
 本尊の「阿弥陀如来立像」は伊丹市の指定文化財です。また、本堂前に伊丹廃寺跡からの出土といわれる礎石が保存されています。
 発音寺は 慶安元年(1648)に建立され,明治6年(1873)に廃寺になりましたが、同12年に再興されました。
伊丹市指定文化財となっている「大日如来坐像」・「十一面観世音菩薩立像」・「三面大黒天立像」を安置しています。境内の楠の木は保存木になっています。
 なお、安楽寺は現存しません。かつては臂岡天満宮の駐車場入り口そばに「安楽寺跡地」の石碑が建てられていました。
 村の庄屋家に安楽寺に関する史料が残っており、江戸時代の安楽寺について知ることができます。史料上で,安楽寺の存在が確認できるのは明治44年(1911)までです。

北村絵図

猪名川通船との関係

 天明4年(1784)、幕府によって猪名川通船の願いが許可され,猪名川を高瀬舟(河川用の船)が荷物を積んではしりはじめました。
 北村の対岸の下河原村に船着き場があり,番屋と問屋場が置かれていました。天保8年(1837)、下河原の問屋から北村と辻村に対し、通船のための荷物小屋を建てたが、迷惑がかからないようにすると約束しています。

おかげ参りとおかげ踊り

 江戸時代、伊勢神宮への参詣が流行し、多くの人びとが親や主人に無断で家を抜け出し、沿道の人びとから宿を借りたり、ほどこしをうけたりしながら、群れをなして伊勢神宮へと向かいました。これをおかげ参りといいます。
 文政13年(1830)春からのおかげ参りは阿波国(徳島県)にはじまり、3月には摂津国でも伊勢へ出る動きが起こりました。
 その後にはじまったおかげ踊りは、天保2年3月ごろに摂津国に波及しました。これは宗旨の差別なく村中で申し合わせ、田畑の仕事も休み、ひたすら踊りに熱中するというものでした。
 おかげ参り・おかげ踊りには、解放を求める民衆の姿があると考えられています。多くの領主はおかげ参り・おかげ踊りを禁じようとしましたが、一部を除き規制することはできなかったようです。

北村のおかげ踊り

 「おかげ参・神おどり」という記録によると、北村では天保2年5月中旬頃に領主(麻田藩青木氏)の許可を得て、5月21日から10日間踊りの稽古をしたといいます。6月1日には氏神で宮踊りをし、2日には村内で踊り、その後伊丹・池田ほか近隣38か村へと繰り出したといいます。
近隣へ行くときには天神宮の幟(のぼり)や高ちょうちんを立てて、踊子102人、ほか200人余りで出かけたと記されています。北村の人口の6割を越える人数の参加ということになります。
 当時「おどり相撲」という番付があり、北村は中関か大関にランクされていたといいます。また、おどりの先生は池田の西村鬼作であったと記されています。

北村の菜種と綿

 江戸時代に灯油が普及し、人々の夜の生活が長くなりました。江戸時代に使用していた灯油は、菜種油と、綿実油を混合したものでした。
 北村でも灯油の原料となる菜種と綿がつくられており、それらは伊丹町ほかの絞り油屋に売られて加工されて油となり、さらに大坂の油問屋に売られ、販売ルートにのせられました。
 綿は種子の表面に白い毛状の繊維をもっており、それを綿花とよび、加工して糸にします。また、種子そのものから綿実油をとります。

「辻の碑」―多田街道と西国街道―

 北村の枝郷であった辻村で、西国街道と多田街道とが交差しています。2つの街道が交差する「辻」に石碑が建っており、それが「辻の碑(いしぶみ)」です。この碑は、その地点が摂津の国の中央であることを示すために建てられたといいます。現在、石碑は御堂に納められています。

「辻の碑」(『摂津名所図会』より)

キタムラブドウ

 明治35年(1902)の、「兵庫県川辺郡伊丹町ノ内北村 葡萄樹栽培一斑」という記録によれば、北村の前川藤蔵は、「ぶどうの栽培において北村は山梨・新潟の2県に次ぐ」との自信を持っていました。北村では特に「北村葡萄」と呼んでいたといいます。
 北村のぶどう栽培は戦前まで盛んでした。しかしその後ぶどうの主流となったデラウェアの栽培に北村の土質が適しておらず次第に廃れたといいます。
 平成10年3月、北伊丹センター(北伊丹3丁目)の前庭にブドウの木が植えられました。名前は地域名を冠して「キタムラブドウ」と呼ばれています。
 この木を植えたのは多田街道の景観を創る会で、地域の歴史の象徴、シンボルツリーとして植えられました。
 その後この木は毎秋、たわわな実をつけており、「収穫祭」が行なわれています。

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