ミュージアムについてABOUT MUSEUM
歴史常設展示
伊丹市の歴史
展示室4(歴史常設展示)では、伊丹市域の歴史について、幅広い史料をもとに常設展示を行っています。
縄文〜古墳時代
縄文時代の人々は、石を打ち欠いて作った鏃(やじり)をつけた矢や槍などを使って狩りを行い、木の実などを集め、土器を使って生活をしていました。
稲作は大陸や朝鮮半島から北部九州に伝わり、東へ広がっていきます。猪名川東岸の口酒井地区は縄文時代の終わりには稲作を始めた先進地で、その後用水路を備えた水田稲作地が広がります。
集落が統合されて大きくなると、支配者が現れるようになります。彼らは大きな墓である古墳を築いて、その権力を示しました。現市域にも多数の古墳が造られたことがわかっています。
古代・中世
伊丹台地は山崎道(山陽道)・有馬道のはしる交通の要衝で、多くの人・モノが往来しました。平安時代には貴族や社寺の荘園ができ、現在の昆陽付近であると考えられる小屋野(昆陽野)は、平清盛による新都建設計画の際に遷都候補地にもなりました。
そして中世、伊丹氏が登場し、武士による統治が始まります。伊丹氏は伊丹城を拠点とし、現市域を中心に勢力を伸ばしますが、織田信長の配下であった荒木村重によって攻略されます。村重は伊丹城を居城として城名を有岡城と改め、摂津国内に同族近親者の城を配置し、支配を固めました。
近世
村重は信長に突如として反旗をひるがえします。信長軍に攻められた有岡城は落ち、その後廃城となりますが、城下町であった伊丹町のうち町人町は残りました。伊丹町(伊丹村)を中心とする15か村で構成された伊丹郷町は、江戸時代、大部分が公家の近衞家領となり、江戸積酒造業のもたらす富によって繁栄します。また、伊丹町が宿駅に定められるなど、京・大坂を結ぶ交通の要衝なのは変わらず、春には大名行列も通り、大いににぎわいました。
この伊丹郷町のほか、現市域には28村がありました。各村は領主や名産物等がそれぞれ異なっていました。
近現代
明治22(1889)年、村は統合され、現市域は伊丹町・稲野村・神津村・長尾村(一部)となります。昭和15(1940)年、伊丹町と稲野村が合併し、伊丹市が誕生しました。その後、神津村と長尾村(一部)も伊丹市へ編入され、現市域が形作られます。
神津村の耕作地に築かれた大阪第二飛行場は、戦時期には軍用飛行場となりました。戦後は米軍に接収され、「Itami Air Base(伊丹航空基地)」となりましたが、昭和33(1958)年に返還され大阪空港となり、その翌年に大阪国際空港と改称します。
また、平成7(1995)年の阪神・淡路大震災は、この地域に甚大な被害をもたらしました。震災からの復興を遂げ、まちは成長し続けます。