モダンガールのたしなみとよそおい/いたみの学び舎―橋本香坡と明倫堂―

880円(税込)

発行年:2023年、サイズ:A4判、ページ数:18p、重量:80g

※本パンフレットは両面表紙の仕様となっています

モダンガールのたしなみとよそおい

“モダンガール”という言葉は、第一次世界大戦後、欧米に登場した新しいタイプの女性を指す言葉でした。日本では大正末期から昭和初期頃に、「断髪洋装の女性」「新しい考え方を持った女性」をさす言葉として、マスメディアなどでとりあげられるようになりました。
大正時代、第一次世界大戦後の好景気を背景に、都市ではライフスタイルの西欧化が進み、余暇には娯楽や趣味を楽しむ人たちが増えました。女性たちは、西洋式の化粧をし、髪型や洋服のおしゃれを楽しむことを見いだしました。また女性の社会進出は、女性たちの「自分で選択し人生を切り開く」という意思の芽生えでもありました。本パンフレットでは大正時代の女性に焦点をあて、雑誌や広告、生活用品などから、女性たちの考えや意識がどのように変化していったのかをご紹介します。

いたみの学び舎―橋本香坡と明倫堂―

儒学者・橋本香坡は、上野国沼田(群馬県沼田市)の沼田藩士橋本紋右衛門の長男として文化6年(1809)に出生します。父の大坂蔵屋敷詰とともに、15歳の時に大坂堀川へ一家で移住し、朱子学者・篠崎小竹に師事しました。伊丹に建てられた郷学・明倫堂の初代教頭に小竹の勧めで就任し、退職するまでの20年弱、伊丹で文化人たちと交流します。
近年発見された小西酒造株式会社の萬歳蔵史料には、橋本香坡と有力酒造家・小西新右衛門氏の密な交流を示す好史料が多く含まれており、様々な新事実が明らかとなりました。
香坡より小西家に宛てた書簡を紐解きながら、幕末期の伊丹における町人の学びの姿や蔵書家・文化人としての一面、学者への支援などのリアルな実態に迫ります。